ことばのひだ
わたしは“わたし”を信じてるんだろうか?

自分を信じることは完璧を求めることではなく、弱さを抱えながらも今日の自分を見て選ぶこと。小さな選択が自分を生きる意志の証であり、問い続けることが生きている証でもある。

#問いかけ#自己との対話#こころの哲学#やさしい疑問#よわねエッセイ

1. 信じるって、どういうことだろう?

「あなたは自分を信じていますか?」

どこかの本で見かけた問い。 見た瞬間、胸の奥が少しざわついた。 「信じてる」と答えたい。でも、ほんとうに?

信じるって、どういうことなんだろう。 間違えないと確信すること? どんなときも味方でいること? 失敗しても見捨てないこと?

わたしは、わたしに対して、それができているだろうか。

2. 自分にがっかりする瞬間が、いちばんつらい

他人に怒られるより、 誰かに失望されるより、 自分にがっかりする瞬間の方が、ずっとこたえる。

「またできなかった」 「どうしてこんなことも忘れるんだろう」

そんなふうに、自分に対して呆れたり、責めたりしてしまうことがある。

そのたびに、自分を信じるってむずかしいなと思う。

3. それでも、小さな選択に光があるなら

でも、思い返してみると——

今日は電車を降りて、歩いて帰ることを選んだ。 コンビニで、他人にぶつかっても無言で立ち去らず、「すみません」と声をかけた。 夜、ちゃんと目を閉じて、深呼吸してから眠ることにした。

そんな小さな選択のひとつひとつは、 “自分をちゃんと生きよう”とする意志のような気がする。

それが「信じる」という言葉で言い切れるかは、わからない。 でも、自分に目を向けている証のような気は、している。

4. 信じることは、たぶん「完成」じゃなくて「継続」

「自分を信じる」とは、完璧を求めることじゃない。 弱さもゆらぎも抱えたまま、 それでも、今日の自分をちゃんと見て、ちゃんと選ぶこと。

たったそれだけのことかもしれない。 でも、その“たったそれだけ”が、すごくむずかしい日もある。

だからこそ——

今日も選んだ自分を、そっと抱きしめるように、生きていけたら。

5. おわりに:問いがあることは、生きている証

「自分を信じているか?」という問いに、 まだはっきりとは答えられない。

でも、問い続けている自分がいる。

そのこと自体が、たぶん、ちゃんと生きているってことなんだと思う。